2009年04月27日

石垣の村 外泊

愛媛県南部、南宇和郡愛南(あいなん)町の一地区。
宇和海に突き出た船越半島の北西端に漁村・外泊(そとどまり)がある。

四国は台風常襲地帯ゆえに各地の民家には、風雨から家屋を守るため様々な工夫がある。

ここ外泊も台風に加え高潮や、冬には北西からの季節風が海水を7,8mも巻き上げるという。

外泊海

海と石垣

狭い山斜面の雛壇上の敷地に造られた家々は、これらの風から守るためにどの家も高い石垣の塀で囲われており、独特の集落景観を形造っている。

外泊集落1

石垣荘

外泊横位置遠景

外泊2

これらの石垣は江戸時代慶応年間(1865〜1868)頃から築かれ始め、明治初期に隣村の中泊より移住。漁業と真珠養殖の漁村として築村されたという。

村は47世帯ある。

石垣と女

昔の写真を見ると、家は平屋が多く遠景では石垣と瓦屋根しか見えず情緒ある景観を醸し出している。

現在は建築技術の進歩で二階屋が多くなり、昔のような集落風情が見られないのは少々残念ではある。

よそ者の勝手な思い入れであるが,,,,。

石垣

宿泊した民宿でたまたま石垣の修復をする現場があると聞き、翌日作業風景を見学させてもらうことにした。

翌朝現場に行くとなんと民宿の主人がリーダーとして現場を取り仕切っている。

民宿「石垣荘」主人・吉田清一さんは、村では数少ないベテランの石垣修復技術者の一人であるとのこと。

外泊石垣修復1

作業は「人の手」と石を叩く「げんのう」だけでの手作業。

修復道具

げんのうで叩く

石と石がうまく噛み合うように慎重に大小の石を選択しながら、積み、叩き、そして又、積み叩き、重ねられていく。

石垣修復3

叩く力の微妙な頃合い、加減がもとめられる経験と勘の世界。

この作業は「人の手」でなければ難しい。

石垣修復2

セメントや粘土などの接着のための材は一切使わず、石だけで積み上げていく。

時々作業を中断し、石垣を周りから見つめ、重力の掛かる方向なども見極めながら作業はまた進められていく。

修復4

外泊は、「石垣の里」として愛媛県の「文化の里」に指定されており、
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている。

外泊横位置遠景2

石垣雛
子供達が石に描いたお雛さまがあちこちの岩の間に置かれている

   「石雛の岩間彩る外泊」(WA)

平成7年、日本の美しい村コンテストで「農林水産大臣賞」を受賞した。
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2009年04月20日

高知から愛媛・外泊へ

四国といえば弘法大師・空海誕生の地であり、四国八十八カ所霊場遍路の地である。

宗教心のない私にはあまり縁の無い世界ではあるが、20数年前たまたま司馬遼太郎の「空海の風景」を読む機会があった。

超人的なエピソードがいろいろ書かれており、空海が天才的な人物であることを知った。

その1つに、空海がまだ真魚(まお)と呼ばれていた19歳のとき、当時まだ未開秘境の地であった室戸岬奥深く分け入り壮絶な荒行に挑み、悟りを開く場面があった。
臨場感あふれる記述は今でも印象に残っている。

この修行をした場所が吉良川から近いという。

足を伸ばす事にした。

吉良川から車で30分たらず、室戸岬の東側。
眼前に太平洋が広がる絶壁にぽっかりと口を開けた2つの洞穴。

空海修行1

2つの洞穴は、向かって右側が修行に使った神明窟で奥行きは10m足らず。
左側は奥行き40mほどで寝泊まりに使っていたという。

空海とお遍路

洞穴から外を望むと目に映るのは空と海。
悟りを開いた若き日の真魚はこの光景から名を改めたという。

「空海」の誕生である。

  「天才が悟り開きし春の海」(wa)


室戸岬より高知市に取って返し、四万十川が流れる中村を経て愛媛県外泊へ向かう。

沈下橋
四万十川下流に架かる沈下橋

  「人知れず春雨寒し沈下橋」  (wa)


これまで晴天が続いた四国路であったが、途中から春雨が降り始める。

ぽつんぽつんと雨の中黙々と歩くお遍路さんの姿が目に入る。

雨風景

小雨に煙る風景。

幽玄。


「春驟雨お遍路寂し独りゆき」  (wa)


愛媛県に入り、雨は止んだものの強風が吹き雲が重く垂れ込む中
愛南町より半島を高茂岬方面に進む。

合間合間に見る海の風景。

曇天の海の風景は何故か物悲しい。

まもなく外泊(そとどまり)に行き着く。

外泊海
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2009年04月19日

高知 安芸から奈半利

高知市から吉良川に向かう途中古い町並みを残す安芸市、奈半利町がある。

安芸

安芸は土佐藩の支城下町として発展した町だが、今でも城跡の周りに「土居廓中(どいかちゅう)」と呼ばれる武家屋敷の家並みが当時のまま残り、そこで生活が営まれている。

ここでも漆喰白壁、水切り瓦が散見されるが、より特徴的なのは土用竹と呼ばれる細い竹を並べた生垣である。

安芸竹垣

かって土佐では武家のみに許されたと言われているが、夏の暑さ、冬の寒さ、強風を防ぐ役割があったと同時に、いざという時弓矢に使えるように植えられたという。
意匠としてもなかなかの美しさではある。


安芸水路

安芸瓦壁

また、割れ瓦を積み重ねた練り塀や豪農屋敷の石垣、水路なども残っており、町の一画は静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。



野良時計
観光スポットとして人気の野良時計


岩崎家
三菱創業者岩崎弥太郎の生家。
三菱マンの聖地(?)なのか訪れた何人かの人たちが手を合わせていた。


奈半利(なはり)

奈半利町の歴史は古く、土佐国の陸路・海路の要衝として古くから栄えた。紀貫之の「土佐日記」にも地名が出てくるとのこと。
現在は、幕末から近代にかけて造られた建物や石塀が点在するが、町並みとして残っていないのが残念であった。


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2009年04月14日

吉良川の町並

高知県室戸市に位置し室戸岬に近い。

吉良川は古くから農林業が盛んで近隣の豊富な山林資源を基盤に、木材や良質な備長炭の生産及び集積地として明治期から大正年間に大きく発展した。

今日の町並みもその頃形成されている。

町は、旧道に面してこの地方独特の水切り瓦の小さな庇をつけた白壁の蔵や同じ形の格子が使われた外観の家が続き、統一した景観が美しい。

吉良川町並み

吉良川町並み格子

吉良川蔵

白壁の漆喰は地灰(消石灰)にネズサ(発酵処理したワラスサ)を加え水ごねしたもので、糊を含まないため塗り付けた後、水に濡れても戻りがなく、厚塗りが可能できめが細かいなどの特徴があるという。
これを土佐漆喰という。

左官

訪れた際、丁度蔵を修理している現場があり左官職人に聞いたところ3センチ位の厚さに塗るとのことであった。通常は1センチにも満たないからかなりの厚さである。

山側の路地に入ると「いしぐろ」とよばれる石垣塀が民家の周辺に築かれている。
土佐漆喰・水切り瓦と同じく、台風などの強い風雨から家を守るためである。

これらは玉石や半割り石を空積みや錬積みといった方法で造られている。

吉良川玉石塀

吉良川半切り石塀

玉石は、川から運ばれた石が土佐湾に沈み、黒潮や台風などの激しい海流によって磨かれ海岸に打ち上げられたもの。
今でも海岸で探すと玉石を見つけることができる。

丸石
お遍路宿のご主人から頂いた玉石

丹念に積み上げられた石塀は美しく芸術品である。

この町中に、明治期に建造された旧家の米蔵を再生した「カフェスペース蔵空間茶館」という安らぎの空間がある。

蔵空間正門

この家はもともとは備長炭問屋を営んでいた池田家という旧家で、吉良川の町並みに残る代表的な伝統的民家の1つである。

約300坪の短冊形敷地に正門・店と米蔵が道に面して建ち、前庭をはさみ母屋と釜屋(台所、現在は水廻りとショップに改修)、中庭を囲んで離れなどが別棟で配置されている。

この建物、実は16年間空家で放置されていたが、現当主夫妻が思うところあり平成11年にUターンし改修に取りかかる。

当初は、雨漏り、壁のクラック、それにシロアリの被害と、見るも無惨な状態であったらしいが、数年かけて自ら少しずつ手を入れ見事に再生。

伝統的家屋の良さを失うこと無く、一方で夫婦二人の感性・アイディア・美意識を随所に生かしながらモダンに仕上げられている。

茶館看板瓦

昨年から遍路宿としても活用されており、ここに一晩お世話になり家中を観させていただくと同時に町中をゆっくりと散策することにした。

音楽家でもある素敵なご夫婦の過不足ない心のこもった持て成しは、素晴らしい家屋とも相まって、極上の旅のひと時であった。

  「初桜秘め事あやし遍路宿」(WA)

夫婦

吉良川は1997年(平成9年)重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

    


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2009年04月05日

土佐漆喰と水切り瓦 

高知・土佐山に宿をとり、翌朝高知県室戸市吉良川に向う。

高知県は高速道路が少なく地元民・行政は公共工事に期待するところ大とのことであったが、太平洋に沿って延びる国道55号線は信号も渋滞も少なく車は順調に走る。

江南市を通過し、安芸に差し掛かるあたりから高知独特の土佐漆喰と水切り瓦の伝統的建物がちらほら目に入ってくる。

安芸漆喰水切り瓦


水切り瓦とは、海からの強い風雨や台風など厳しい自然環境から家屋を守るために、当地で独自に発達した雨仕舞いのための工法であるとのこと。

水切り瓦の小さな庇は機能的には壁面へ直接雨が掛かるのを避け、漆喰の白壁を保護する役目を果たしているわけだが、家の格を競うという意味もあるらしい。

奈半利白壁

水切り瓦


見始めはちょいと異様な印象を受けなくもないが、見慣れてくるとその造形はユークでそれなりに美しいものである。

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天界の村 東祖谷落合集落

四国山地東部にある徳島県祖谷(いや)山は日本を代表する秘境として知られている。

ここを流れる吉野川上流域の本流支流は深い谷を刻み込み、その谷の両側には山上に形成された山岳集落「天界の村」がかなりの数点在する。

東祖谷落合集落は祖谷地方のほぼ中央、高知県との県境険しい山間の急斜面に沿って位置する代表的「天界の村」集落である。

落合集落横位置

急斜面に畑地が耕されその中におおよそ70軒の民家が張り付くように造られている。
集落内の高低差は約380m。
集落の起源は明らかではないが、平家の落人伝説や開拓伝承が残っており、民家は江戸の中期から末期に建てられた主屋が多く残されている。

敷地は急傾斜地の為等高線に沿って切り盛りして前後に石垣を積み作られており、奥行きは浅く、細長い。

祖谷地方では伝統的に家主は長男が結婚すると隠居し母屋の横に隠居屋を建てて住むという習俗があり、母屋、隠居屋それに納屋などが土地の形状に沿って横に並ぶ配置をしているのが特徴である。
建物は必然的に奥行きの浅い間取りとなり、山を背に谷に正面を向けて建てられている。

こうした敷地形状、建物配置の伝統的民家と石垣や畑などで構成される独特の景観が、2005年、重要伝統的建造群保存地区に指定された。

落合茅葺き

集落内の民家の多くは青いトタン屋根で覆われているが、訪問時にその内の1軒が茅葺きに吹き替え中であった。
集落のランドマークにするとのことであったが、いずれ他の民家も茅葺きに修復されていくのであろうか。

今度また訪れた際どのような景観になっているか、楽しみである。

   「祖谷深く黄砂に霞む山桜」(WA)




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2009年04月02日

早春の四国路

2009年3月中旬、四国路の古い街並や集落を訪ねる撮影の旅に出た。

今回の旅の第一の眼目は、愛媛県最南端にある石垣集落「外泊(そとどまり)」であった。

今から十数年前、中・四国地方の古い街並を残す町街を訪ねる旅をした際「内子(うちこ)」までは行ったのだがそれ以上南下する時間の余裕が無く、外泊に行くことができぬまま旅を終えた。
それ以来、四国が話題に出るといつも決まって「外泊」の名が念頭に浮かぶ、私にとってはここはそんな思いのある港村集落なのである。

加えて今回の旅では比較的最近伝統的建造物群保存地区に指定された徳島県「東祖谷(いや)村落合集落」、高知県室戸市「吉良川町」を訪ね、この3カ所の行程の途中に散在する魅力的な小都市や町村に時間の許す限り立寄り、写真を撮ろうという旅であった。

朝一番の飛行機で高松空港に着き、なにはともあれ讃岐うどんでの腹ごしらえ。

2軒の店をはしごしたが、そのうちの1軒はまだ朝の10時過ぎだというのにもう2、30人の行列。驚いたな〜!。
うどんはさすがにしっかりした歯ごたえで美味。その上安価。人気が出るはずである。

ともあれ、腹ごしらえを終え、車で徳島祖谷(いや)へ向かう。

32号線を2時間弱走ると阿波池田市に入る。
かって名将鳶監督のもと部員十数名の野球部が甲子園に乗り込み旋風を巻き起こしたアノ池田高校がある町である。

ここから吉野川に沿ってさらに32号線を南下。
大歩危小歩危などの切り立った渓谷を見下ろしながらのドライブは快適。
吉野川は青緑色の豊かな水流。
聞けばこの色は川底にある石の色だそうで、桂離宮の敷石はここから運んでいるという。
吉野川

3、40分走ると45号線と分岐する。
45号線をしばらく行くとかずら橋があり、さらに小1時間剣山の方向に山道を分け入っていく。
本当にこんな山奥に集落があるのかと恐る恐る車を進めて行くと、突如というか、
唐突に山の急斜面に広がった集落に出くわす。
まさに「出くわす」という感じなのである。

目的地の東祖谷村落合集落である。

祖谷落合集落



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2009年03月28日

冬の大内宿

叶津番所からの帰り道、久しぶりに雪景色の大内宿を見たくなり立ち寄った。
積雪は少なかったものの、雪が強風に煽られそれはそれで雰囲気のある冬の大内宿をみることができた。

冬の大内宿雪の大内宿
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